観光名所
和歌山市
一つの境内に2つの神社があり、総称して日前宮あるいは名草宮とも呼ばれています。和歌山電鐵貴志川線日前宮駅から近い場所に並んで鎮座する神社である。創建は新武天皇二年(約2600年前)と、日本で最も歴史のある神社の一つで、神話とも関わりが深い。『日本書紀』に、天照大神が岩戸隠れした際、石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した鏡が日前宮に祀られているとの記述がある。社伝によれば、神武東征の後の神武天皇2年、紀国造家(紀氏)の祖神である天道根命(あめのみちねのみこと)が、八咫鏡に先立って鋳造された鏡である日像鏡・日矛鏡を賜り、日像鏡を日前宮の、日矛鏡を國懸宮の神体としたとしている。
入口から向かって左に日前神宮、右に國懸神宮がある。両社とも式内社(名神大)・紀伊国一宮で、旧社格は官幣大社。和歌山市内にある当社と竈山神社(旧官幣大社)、伊太祁曽神社(旧官幣中社)に参詣することを「三社参り」と言い、古くよりこの三社に参詣する人が多い。この三社を結ぶ形で和歌山電鐵貴志川線が走っています。
御祭神は両宮ともに太陽神・天照大神で、日前神宮は、日像鏡を神体とし、日前大神を主祭神、思兼命、石凝姥命を相殿神とする。
國懸神宮は、日矛鏡(ひぼこのかがみ)を神体とし、國懸大神を主祭神、玉祖命、明立天御影命、鈿女命(うづめのみこと)を相殿神とする。
これらの鏡はいずれも伊勢神宮内宮の神宝である八咫鏡と同等のものであり、八咫鏡は伊勢神宮で天照大神の神体とされていることから、日前宮・國懸宮の神はそれだけ重要な神とされ、準皇祖神の扱いをうけていた。日神(天照大神)に対する日前神という名称からしても、特別な神であると考えられる。また、伊勢が大和への東の出口に対し、西の出口であったため、伊勢神宮とほぼ同等の力を持っていたといわれています。日前神宮の祭神である日前大神は天照大神の別名でもあり、朝廷は神階を贈らない別格の社として尊崇した。神位を授けられることがなかったのは伊勢神宮をおいては日前・國懸両神宮しかなかった。なお、日前大神は天照大神の別名とされることについては諸説がある。
社伝によれば、当初は名草郡毛見郷浜宮に祀られ、垂仁天皇16年に現在地に遷座したとしている。なお、伊太祁曽神社の社伝では、元々この地に伊太祁曽神社があったが、紀伊国における国譲りの結果、日前神・国懸神が土地を手に入れ、伊太祁曽神社は現在地に遷座したとしている。また、日前・國懸両神宮の遷宮前の旧社地には浜宮神社が鎮座している。
朱鳥元年(686年)には國懸神に奉幣したとの記事がある。『延喜式神名帳』では名神大社に列し、紀伊国一宮とされた。中世には、熊野詣での途中で参拝されたとの記録がある。
天正13年(1585年)に豊臣秀吉に攻め込まれ、社領が没収された。その際社殿が取り壊され境内が荒廃したが、江戸時代に紀州藩初代藩主徳川頼宣により社殿が再興された。しかしかつては広大な境内を有したが、現在は最盛期の5分の1の広さになっており、社殿や施設などは往時を忍ぶに及ばない。さらに大正8年(1919年)には国費による改善工事によって境内の建物はすべて一新されており、旧観は大きく変化している。大正15年(1926年)3月の工事完成をもって現在の左右対称の姿となった。明治4年(1871年)、近代社格制度のもとで両宮ともに官幣大社に列せられた。現在は、神社本庁などの包括宗教法人に属さない単立神社となっています。
【阪和自動車道和歌山ICから車で約5分】 【わかやま電鉄貴志川線「日前宮駅」下車徒歩1分】