観光名所
海南・有田・湯浅
万葉時代、斉明天皇が紀の湯(白浜町)に行幸の際、この地を訪れ創建。熊野古道の九十九王子の中でも別格とされる五体王子の一つ「藤白王子」の跡であり、かつては「藤代神社」「藤白権現」「藤白若一王子権現」などとも呼ばれていました。藤白王子権現本堂には熊野本地仏が祀られています。子授け・安産・健康・長寿の神様として、今も厚い信仰を集めています。また境内には、近くの藤白坂で亡くなった有間皇子の追悼ともとれる「藤白の み坂を超ゆと白たへの 我が衣手は濡れにけるかも」という歌碑と、地元有志の人々の手で作られた悲運に散った有間皇子を祀る有間皇子神社があります。元旦には熊野詣でが盛んな頃神前で奉納された里神楽が起源とも言われている藤白の獅子舞(県無形文化財)が、11月には「有間皇子まつり」が開催されています。
正面鳥居
芭蕉翁藤塚
千年楠
藤白神社の敷地内には、平安時代に熊野から藤代の地に移り住み約122代続いたと言われる鈴木氏の屋敷跡があります。ここを拠点に全国3300あると言われる熊野神社を建立し、熊野信仰を広めました。そもそも神武天皇東征の時、鈴木家の祖先が天皇に稲を献じたので「穂積」という姓を頂いたが、この地域では稲を積み重ねたものを「すずき」と言ったことから「鈴木」になったと言われています。また、熊野権現の神木ナギ枝に鈴を付けて、神武天皇一行を案内したことに由来するという説も。ちなみに、衣川で源義経と討ち死にした義経の家来である鈴木三郎重家と、亀井六郎重清兄弟も藤白地区の出身。義経がこの地を訪れた時の、義経弓立松や曲水泉式庭園も有名です。和歌山の戦国武将であり、鉄砲集団・雑賀衆の頭領である雑賀孫市も本名は鈴木です。過去には、境内に「全国の鈴木さんいらっしゃい」なるのぼりが立ち、持ち寄った家系図や古文書などを披露し合うなどして、親睦を深める「全国鈴木サミット」も実施。鈴木家の人でまだ訪れていない人は、自分のルーツを探りに出かけて見てはいかが?
【阪和自動車道海南ICより車で約3分】 【JRきのくに線海南駅よりバスで3分、バス停「藤白」下車、徒歩約5分】